雨に対して怒ることはできるか?

身近で死んだ人がいる。

法事があって、自分はたまたま金を出さなかったのだが

弔意が足りないと恨まれている。

だが、もともと法事に意味なんてないし、僕が参加する必要なんてない。

僕はみんながなるべく幸せになるようにしているだけだし、

僕が宗教的な行事についてまったく意味を見出さないこともどうしようもないことだ。

(ほとんどの物事はどうしようもないことであって、自由意志でどうにでもできそうなことでも、実際にはそんなに簡単に自由に変更できたりはしないことが多い)

(心から喜んで法事に参加したりはしないし、進んで金を出すことはない)

(かといって死を悲しんでいないわけではない。ちゃんと死は悲しい)

無神論に賭け金を全部突っ込んでいるので。

本当を言えば、こういったことは理屈できちんと説明したい。

だが、世の中のほとんどの人には理屈は通じない。

(日常的な場面を除けば)言葉も通じない。

ちょっと複雑な話をしようとすると、多くの人々は忍耐力の限界を突破してしまう。

常世界における論理に対する忍耐力というのは恐ろしく低い。

そんなものよりも感情を爆発させるほうが簡単なのだし、自然だから。

感情はレガシーであって、現実世界にとって感情はそれほど有用ではないが、

我々のほとんどはレガシーで構成されているので

やはりこれもどうしようもないことだ。

どうしようもないことで八方を塞がれている。

僕は特に悪意ないし、少なくともできることはすべてやっているつもりになっている。

雨に対して怒ることはできるだろうか?

 

登場人物の全員がベストを尽くしてこの結果であれば、結果を受け入れる他はない。

それがどんなにしょぼい結果であれ。

言葉が通じないのであれば、説明することはできない。

我々の人生というものはつまり、雨に対して怒っているようなものだ。

言葉をしゃべってほしいが、それを理解する自信もない。

せめてこの絶望を共有したいのだけれど、それも叶わぬ望みだろう。

だいたいがレガシーと感情の渦に飲まれて消えてゆく。

ここに何か救いがあるだろうか?

雨に対して怒っている人にかける言葉とは?

「残念でしたね」「ご愁傷様でした」くらいのものだ。

言えても「私も雨はあまり好きではありません」レベル。

何万年もくだらないことを繰り返しすぎた。

この遺伝子が消えるまでには相当な時間が必要だろう。

それとも何か前向きな解決があるけど見落としているのかな?

ちょっとしたおいしいものを奢るとかの簡単な解決であってほしい。

そうであってほしい。