方法的マゾのすすめ

最近ニートの人についてよく考えてるんだけど、その続き。
ニートの人は、なぜ「世界に立ち向かっていくのが怖い」のかな。
(つうかこれはぜんぜん他人事じゃないんだけど)

ニートの人の症状ってのはニートじゃない人に比べて日常生活から受けるダメージが相対的に大きいので、
「日常生活の中に普通に存在するもの」としてダメージを受け入れられないんじゃないかな。(ニートの人の心理的ダメージについてIridiumが勝手に想像している内容は一番下に補足)
「自分の受け入れられるダメージの総量」が少ないので、すぐにキャパシティをオーバーしてしまう。

でもさ、「キャパシティをオーバーしてしまうから」という理由で引きこもってると、
いつまでたっても「ダメージを小さくするためにダメージを受ける経験をする」という作業を行うことができない。

つまり日常生活で加えられる様々な衝撃を最終的に「日常生活に耐えられる程度のダメージにする」には、
しばらくの間はキャパシティを超えるくらいのダメージを受け続けないといけない。

そこに大きな矛盾があるとは思う。

ダメージを受けないためにダメージを受けるっていったいなんだ。変じゃないか?

この矛盾をストレートに感じていると前に進めない。
「絶対に日常生活に耐えられるレベルにまでダメージが低下する」保証はどこにもないし、
日常的な小さなダメージが克服できても、突然に大きなダメージが突然発生することは、いくらでも考えられるんです。
未来の大きな成功を夢見ることができればいいかもだけど、逆にそれがないと目の前の壁を乗り越えるモチベーションがない。
モチベーションがあまり高くない普通の人には、なんか他の方法が必要だ。
ここでなんらかのトリックが必要になると思う。

Iridiumがふと思う方法は、
「マゾになること」です。
自分がダメージを受けることそのものを楽しむこと。
人間の心というのは小さなダメージに関しては高速な再生能力があるので、
少しぐらいのダメージを受けることを気にする必要は本来はないんです。
ちょっとぐらい傷ついてもそれを忘れる能力がある。
やってみればわかるんだけど(すごい印象的なものを別にすると)過去の細かいダメージの内容を思い出そうとしてもぜんぜん思い出せない。

だから日常的に受けるくらいのダメージを楽しんでも問題はない。
むしろ「自分のダメージ限界がいったいどこにあるのか」を追求するくらいでいい。

結構細かなダメージ限界というのもある。
ほんのちょっとした中傷にものすごく傷つくこともあるだろう。

でもダメージを受けたからといってすぐに後退するのではなく、どういうときにどうダメージを受けるのか、とか
探っていかないと自分がダメージを受けるメカニズムというのは見えてこない。

それは確かにあまり美しいきれいな作業ではない。
でも生きていくためには避けて通れないんじゃないかな。
現実世界を切り開いていくためにはある種の「悪趣味さ」が必要なんです。
不快感を楽しむというか。

不快なもの、グロテスクなもの、痛いもの、怖いもの、汚いもの、不条理なものと向き合っていくというのが人生の側面なんです。
きれいなものばかりを見て生きていくわけにはいかない。
泥の中に手を突っ込まないと前に進めない、こともある。

そして、不条理さや汚さの中にも美しさや一定のルールが存在しないわけではないんです。
人生的にはそれはそれで新しい発見で、大きな個人的物語からすると一つの重要なエピソードなんです。

方法的マゾ、推奨です。

ニートの人の心理的ダメージについてIridiumが「一般的だ」と思っている説明

傷つくのが怖い。
自分が世界とぶつかったときに発生する認識の違いが怖い。
無力さがあからさまになるのが怖い。
貶められるのが怖い。
言葉を話していて相手がどう反応するかが怖い。
視線が怖い。
プライドが傷つくのが怖い。
落ち込むことが怖い。
気力がなくなることが怖い。
死にたくなることが怖い。

いろいろあるな…。いちいち詳細に内容や対策を考えるのが面倒なので、
全部を包含する回答として試しに「傷つくのはしかたない。傷つかない人なんていない」としてみる(月並みか?)

えー、例えば、友達とか同僚とかを観察してみるに、どんなに逆境に強く精神的にタフな人でも「まったく傷つかない」ということはない。
ちょっとは傷つく。
心理的なヒットポイントみたいなもので、攻撃に対してはちゃんとダメージを食らうみたいだ。
ニートだからあらゆる攻撃に弱いってわけでもない。
ちょっとした攻撃なら耐えられる。(2ちゃんねるで叩かれるとかね)

そんで、たぶんヒットポイントが少ない人は少しのダメージても大きく感じるし、
装甲(面の皮とも言う)の薄い人はダメージが大きくなりやすい。*1

心理的なダメージのメカニズムを表す方法なんだけど、なんとなくロールプレイングゲームが採用しているダメージモデルがそのまま適用できるぽい。
抽象化の方法としてなんか相性がいい感じ。
RPG世界の場合はレベルアップして、装甲度やヒットポイントが上昇することでダメージを受けにくくなるんだけど、現実世界の場合も似てる。
リアルで経験を積むと精神的な装甲度とヒットポイントが上昇するぽい。
(仮想空間の場合は2ちゃんねるで叩かれまくると、ちょっとくらい叩かれても「まあこんなもんだ」って思うようになる(こともある))

外面的な見え方からすると現実世界の場合は経験を積むと「慣れ」によってダメージを受けにくくなることになっている。
慣れによる刺激の減衰、ってのはまあ一般的な概念か。

同じ刺激を何度も受けてると、刺激の絶対量としてはだんだん少なくなる。

ある特定の刺激が強すぎるのであれば、その刺激に慣れていけばだんだん小さくなって、日常的な生活の文脈に組み込むことができるサイズになる(こともある)

(あまりにも強すぎる刺激には耐えられずにトラウマになる可能性ある。トラウマにならないためには刺激量を制限しないとだめぽい。「慣れる」ためには大幅に個人の持つキャパシティを超えた刺激が与えられる、ということがないように刺激量が人為的に慎重にコントロールされる必要がある)

*1:ところで「面の皮」のメタファーって「デブ」ってことなんじゃないかな。体重が増えれば鈍感になれるのだろうか?確かに体重の多い人は鈍感な人が多いようなイメージがあるんだが、それは鈍感だから体重が増えたのか、体重が増えたから鈍感なのかの因果関係がはっきりしない。