「リアル自分のレベル上げ」は幸福な結果をもたらすか

『ゲームでレベル上げする膨大な時間をなんで自分自身のレベル上げに使わなかったのか』というページがあった。読んでいてなんかへんな感じなので、その違和感がなんなのか追求してみる。

まず思うことは、現実社会というのは圧倒的に作業的な世界なんです。95%くらいまでの人の仕事というのは作業的。ここで言う「作業的」というのはつまり創造的ではないということ。一定の作業をこなしていくってこと。計画をするのは一部の人で、多くの人は計画を遂行していくだけなんです。また、そうじゃないと全体がうまくまわっていかない。社会ってのは集団作業なので、多くの人は組織の下のほうで計画や予定を現実化するための細かい動きをするのが正しいんです。

そもそも創造的な仕事をする人は少ないので、どんなに自分を磨いても作業になってしまう可能性は非常に高い。仕事の質的転換ってのは才能とか努力があっても難しいんです。

ゲームに使っている時間をすべて使って、自分のスキルを向上させることができたとしても、(それによって収入は多少向上するかもしれないけど)「仕事が作業である」っていうことはぜんぜん変化がない。スキルをちょっと上げたくらいでは、垂直的な変化しか生じないんです。ゲームしていた時間で資格をいくつか取れるかもしれないけど、それで得られる収入の変化なんてたいしたことない。ちょっと能力が向上したくらいではブレイクスルーはやってこない。

たとえば自分のすべての時間を能力アップにつぎ込むことができれば、もしかしたら何かの境地にたどりつけるかもしれない。人間国宝みたいなものにはなれる可能性はある。でもさ、そこにたどりついたからといって、それは幸せなんだろうか?ただ自分の能力が高いからといって幸せになれるのかな?誰かの便利な道具に過ぎないかもしれないのに?
そんなはずはない。スキルの高い人がみんな幸せかというとそうではない。単に能力が高いからといってその状況に自分が満足する保証はなにもないんです。単調な作業に飽きて「人間国宝になんかなりたくなかった」と思っても後の祭りです。無闇に能力だけあげてもしかたがない。それは闇の中に鉄砲を撃っているのと一緒です。レベルアップというのは盲目なんですよ。そこには方向性の概念が欠落している。能力の高さと幸せとは直接的な関係はない。現実世界で「垂直性の意味」というのは非常に限定的なんです。「単純に上に向かっていけばいい」という楽観的なアイデアはほぼ無効です。
要するに「ゲームをしている時間で自分自身のレベル上げしていれば(なにかいいことがあったかも?)」ってのは幻想なんです。

ただし「すべてのレベルアップが無効なのか」と言われてみるとそうでもない気がします。
垂直的な変化ではなく、質的な変化があれば意味があるかなあ。
ニートの人がニートを抜け出せるとか、今自分が遭遇している現実的な問題を解決する方法を見つけるために時間を使うとかね。現実的に就職に結びつく人間関係を手に入れるとか、人間に対する恐怖心や、鬱に陥る心を克服できるとかの方策が立つのであればそれは有意義でしょう。

んー、要するに自分が感じている違和感というのは「レベルアップ」という垂直的な概念ですべてを語ろうとしてしまうこと、についてなのかもしれない。
ゲームとは違って現実世界においては垂直的な能力向上よりもむしろ、「どのように自分を伸ばしていくべきか」という(水平的な?)計画性のほうがとてもとても重要なのです。ゲームでは計画性ってのはゲームを作る人が考えてくれるけど、現実世界では自分で考えないといけない。学校もそうなんだけど、「計画すること」は誰も教えてくれないんです。計画しようとするってことに失敗している人が結構たくさんいるんじゃないかな。ニートの人とかが生きるモチベーションを感じないのはそれが原因では?もしそうなら垂直的な発想をいったんやめてみることを提案します。能力がどうこうってのを考えるのをとりあえずやめる。レベルアップ(能力の向上)のスピードというのは実はそんなに重要じゃない。多くの場合は目標を目指していればそんなのは自然についていくものです。

能力向上じゃなくて、目標を持つこと。そしてそれに向かっていく計画を立てることのほうがぜんぜん重要。はっきりいってレベルアップなんてしなくてもいいくらいです。世の中の多くの人は(経営層でさえ)そんなにたいした能力を持っているわけではないんだから。

多くの人は「単にそこに至る道を歩いていたからそこにいる」ってだけ。「能力があるからそこにいる」って人はほとんどいない。これは強調しておきたいんだけど、「レベルが高いからそこにいる」んじゃ決してないんです。そこに至る道を(意図的にか偶然にか)辿ってきたからその地位にいる。会社が新入社員をどう扱うかを見ればわかるけど、新入社員に対してはほとんど何も期待していない。教育したり、会社に入ってから仕事をだんだん学んでいくことで役に立つ人になっていくんです。つまり能力のほとんどは最初から持っていたものではなく、現在の地位に至るその途中で身に着けてきたもののはずなんです。

だから自分の能力を向上させることよりも、まずは計画を立てること。その計画を確実に実行すること。
計画を立てるための目標がなければ目標を探すことからはじめましょう。目標がない人は自分にとってなにが一番幸せなのかをよく考えてみる必要がある。自分探しの作業は後で「こんなはずじゃなかった」と思わないためにも必須だと思う。「この人生で自分がやるべきことは何か」っていうのを決めないといけないんじゃないか。仕事に生きる人ならどこかで「この仕事なら一生続けていける」って確信を掴まないといけない。いろんな仕事をやってみて気に入るのを選んでもいいし、「自分のアンテナがどういう指向性を持っているか」ってのを追及することにどんどん時間を使っていいと思う。目標のない人生なんてたいした意味がない(と僕は思う)ので、まずは目標を見つけることに全力を使っていいんじゃないか。本を読んだり、旅行したり、いろいろな経験を積むのがいいんじゃないかな。自分の知識と経験のキャパシティをどんどん広げていけば、自分の天職が見つかる可能性も高くなると思う。(その結果として「ごく普通の日常生活を送る」ってのが目標になるケースも結構あるとは思うけど、それはそれでちゃんと目標になっている)*1

この先はあんまり自信ないんだけど、僕が勝手にいつも思っているのは、「一歩でもいいから目標に向かって近づいていくこと」が一番重要で、それ以外は割とどうでもいい。人生というのはものすごく長いので、長期間に渡って努力することは累積的な効果がある。(それが「レベルアップ」なのかもしれないが)目標に向かって努力してみて、届かなかったのならそれはそれで一つの人生です。人生に自ら意味を考えてあげる必要があるんじゃないかな。誰も意味を与えてくれないんだから、自分で与えるしかないと思う。(というのは大げさなんだけど、「これだけはこの人生を使って達成させてやるぜ」みたいなものでいいんじゃないか)明確な使命があるのなら、自然にゲームとか無意味な時間というのは削れていく。

まとめ:垂直的な発想から逃れられないから、いつまでもゲームをすることになってしまっている。「目標を達成するために計画して、計画したプロセスを順に踏んでいく」という方向に考えないと人生は前に進まない。能力の向上を目論む前に自分の人生に目標とか使命を与えてあげる。

*1:…というのは楽観的すぎかなあ。「どうしても自分の使命を見つけられない人」ってのもいるかもしれないが。自分にはどうすべきかわからない。ただ多くのニートの人はもう少しいろいろ行動してみる余地はあるのではないかと思う。少しでもこの文章が行動の理由になってくれるといいんだけども。