受験勉強なんてくたばれ、と思っていた

高校での受験勉強がどうしても嫌だった。

なぜこんな無駄なことをやらないといけないのか
さっぱりわからない。

馬鹿のやることだと思った。
意味のないことを一生懸命に覚えてどうするんだ?
その年号、その数式は受験で使ったら、その後一生使うことはない。
おまえらは機械なのかと。
無駄なことをよくいつまでも続けられるな。
地獄の賽の河原で石を積み上げ続けろ。
人生を無駄に消費しろ。

死に向かって行進しろ。
どこまでも無駄に時間を使え。

学校全体が受験に適応した状態になっていた。
閉塞しているようにしか感じられなかった。
学校にいる人間全員が硬直しているように感じた。
人々の表情から柔軟性が消えていた。
未来なんて見えなくなっていた。
学校は檻にしか感じられない。
通学は明らかに一種の罰だ。

やつらには点数しか見えていない。
というか目の前にあるものしか見えてなかった。
与えられた課題やテストだけが目的で、その他のことはなにも見えていない。
大学にいったらどうなるかとか、就職したらどうなるかとか
そんなことは誰も語らなかったし、自分もほとんど何も知らなかった。

自分が住んでいた田舎の高校では大学の情報なんて誰も教えなかった。
今となっては自分でもっと大学のことや将来のことを調べるべきだったと思う。
インターネットも存在してなかったし、都会の就職状況を知る人間は自分の周辺には存在しなかった。*1
たぶん先生も都会の状況などは何も知らなかったから教えようがなかっただろう。*2
かろうじて雑誌にはなにかが書いてあったかもしれないが、たぶんそれを読む気力がなかったと思う。
その当時は未来のことなんて本当にどうでもよくなっていた。
みんながやっている社会ごっこがどうでもよくなっていた。

ゲームをやりたいやつには勝手にゲームをやらせておけ。
目的のない行進にいつまでも付き合うつもりはない。

真面目に勉強をしているやつら全員が憎かった。
勉強というものそのものに憎しみを抱いていた。
学校そのものに憎しみを抱いていた。
世界全体に憎しみを抱いていた。

なぜなら、そこには何の目的も意思もなかったからだ。
そこには機械しか存在していなかった。
学校は管理マシーンになってしまって末端から壊死しているように見えた。

誰一人として目的を語る人間はいなかった。
全員の目が淀んでいて、意識が受験というゲームに埋没していた。
どうでもいいどうでもいいどうでもいい。
おまえらは死ぬまで空しくゲームをやっていろ。

「おまえらは勝手にしろ、オレは降りるからな」
そんな気分だった。

自分は最終的には芸術系の大学に進学したのだけれど、
その理由は「受験勉強をしたくなかったから」という一点に尽きる。
美大に行けば管理社会から逃れる方法がなにか見つかるのではないかという漠然とした期待があったからだ。
学力試験がほぼ無効な大学に進学することで受験勉強を裏切りたかった。
「おまえらは勝手にやってくれ、オレはオレの道をいく」そう言いたかった。

今、この理由が間違っていたことがはっきりとわかる。
憎しみを判断の基準にしてはいけない。
気が付くのが20年ほど遅すぎた。

どこへ行っても「管理」というものから逃れることはできない。
だが目的のない死んだ管理と、ちゃんと目的のある生きた管理というのはまったく違う。
目的意識さえあれば、どんなシステムも有効に使うことができる。
システムは憎しみの対象として適切ではないのだ。

もしも、今判断できるなら社会学系の勉強ができる中堅の大学を選ぶんじゃないか。

が、あのときに戻っても、たぶん正しい判断はできないとも思う。
自分が将来、なにをやりたくなるかなんて、そんなものが簡単にわかるはずがない。

そして今は無職でライターの仕事を探している。
でもライターというのは人気があるわりに口が少ない職業であるらしくぜんぜん見つからない。
まったく別な仕事をすることになるのかもしれない。
これでいいのかどうかわからないし、将来のことはも不明。
老後のことは不安だ。

でも、受験勉強を憎んでいたときに、もうこのことは決まっていたと思う。
大学進学以前に。

旅する運命にある。
探すのが僕の人生だということなのだろうか。

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もしも今これを読んでいる高校生がいたなら、自分の目的意識をよく考えてくれ。
怒りや憎しみに惑わされずに最善の道を探ってほしい。
自分の今後がどうなったらもっとも幸せで満足できるのかをよく考えてくれ。
その重要性を考えると、これは高校の3年間をすべて費やしてもいいくらいの課題だ。
  
高校教師の人は生徒に可能な限り多くの可能性を見せてやってほしい。
(教師自身が職業や大学についてもっと学んでください)
生徒に人生の目的を見つける手助けをしてやってくれ。
目的がないとなにもできなくなるやつがいることに気が付け。
生徒は馬車馬じゃない。
情報を隠蔽しないでくれ。
生徒を機械や鶏卵工場の鳥のように扱うのがもっとも簡単でやりやすいだろうが、
その方法は誰にでも適用できるわけじゃない。
目隠しをしては走れない者もいる。
たぶんあの当時の僕を救うことは誰にもできなかっただろうとは思うのだが、
もしもできるなら「目的のない空しさ」からやつらを救ってほしい。
生徒とのコミュニケーションにエネルギーをつぎ込んで、今そこにいる意味を説明して納得させてやってくれ。
勉強を続けるだけのモチベーションを維持してほしい。
そして、学校を憎むのをやめさせてくれ。

*1:秋田県本荘市では少なくともそうだった

*2:いまもって不思議なんだけど「将来なにになるか」とか「どの大学に進むのがベストの選択か」なんて生徒が勝手に調査・決定できる物事だと思っていたのだろうか?教師が教えなくとも十分な情報が手に入ると思っていた?いや、不十分であることはわかっていただろう。教師にもそれを与える能力も時間も組織もなかった。だがその不十分性を認めることをしたくなかったのではないか。権威の喪失を恐れたのだろう。権威なんてものは生徒の役には立たないのに。たぶん生徒を恐れていたんじゃないかと思う。できれば「自分にはおまえらの将来について考えてやることはできないが、それは高校の勉強なんかよりもずっと重要だから自分で完璧な計画を用意しろ」くらいは言ってほしかった