VC++が幸せだった頃

VC++が幸せだった頃は本当にあった。
6.0の頃は本当に幸せだったのだ。

なにしろその革命的なインターフェース。
今までコマンドラインでしか表示できなかったものを、
まったく過不足ない美しいやり方でウィンドウ化していた。
あれ以上に美しいツール設計はなかなかできないだろう。
世界でも選りすぐりの優秀なチームが有り余るその力を100%発揮した成果だった。
行単位で実行させながらデバッグできることに驚いた
あまりにも優秀だったために、Eclipseがほとんど丸ごとマネしてしまったくらいだった。

MFCWindowsの制御関係を実装するには欠かせないもので、
構造が冗長で実装が面倒だったが、使ってみると有用だったしそれを学んでいくのは楽しかった。

いつからだろう、VC++の幸福に影が落ち始めたのは。
それはたぶんATLや.Netのせいだ。
ヘルプにはアンダーバーがたくさんついた意味不明な文字列が並びはじめた。
Microsoftの独自拡張がヘルプ全体を覆ってしまった。
それらの拡張は「VBC#との結合のため」というよくわからない理由だった。
そんなことはユーザには全然必要ではなかった。少なくとも僕には。
僕は単に美しいプログラムが組みたいだけなのに。
意味不明な拡張命令だらけのわかりにくいコードを書きたくはない。
Microsoftはチームプログラミングというものがどういうものがわかっているのか?)

Microsoftの繁栄が第一という会社の方針が優先され、ユーザの都合は置いていかれた。
そして、栄光のVC++6.0に唯一あった大きな失敗である「プロジェクトの設定がわかりにくい」という問題は解決されずに放置された。
現在もその問題点は解決されていない。自分は何日も悩んだが、いまだにManagedではないプロジェクトをManagedにすることができない。

栄光はホットケーキを食べるくらいに簡単にあっという間になくなってしまった。
誰もがVC++を使わなくなった。
本屋にはVC++についての本がほとんど見かけられなくなり、
WEBを生業とする多くの人々は開発言語としてJavaPerlを選んだ。

そしてJavaに関してはVC++には若干劣るものの、ほぼ同じレベルの機能を備えた「Eclipse」という開発ツールがIBMによって無償で提供されることになる。

この時点でVC++の世間的な息の根はほとんど止まってしまったのだが、Microsoftは失敗を認めなかった。
当初の目論見とは違ってマイナーな開発ツールとして生き延びることになった。

これが本当に目指していた場所なのか?
きっとそうではないだろう。VC++がもっと幸福になれる道があったはずだ。
VC++6.0の頃に戻ってやり直せないだろうか?
WEB関係の新たな実装が必要ならMFCで実装すればいい。
セッション関係だろうがクロスサイトスクリプティング対策だろうが、
C++でも実装できるし、実装したって悪いことはなにもない。
内容のよくわからないMicrosoft謹製のラッパーだらけの現状が正しいとはとても思えない。
ラッパーが複雑すぎて手の届かない領域に行ってしまっている。
デバッグのときに(自分の書いたものではない)(なぜ組み込まれたのかわからない)ソースを読んでいるとなにかの修行をしている気分になってくる。

それとも言語としての命運はもうすでに尽きているのかもしれない。
言語としてのデザインが時代にそぐわなくなってしまったのかも。
Cは(アセンブラみたいに)普通のアプリケーションプログラムをする人はほぼ参照しなくてもいいものになっていくんだろう。
隠蔽の多いJavaのようなWEB開発言語よりも隠すところのないC++のほうが個人的には好きなのだが、この愛は報われない。