学校で習ったことを忘れるという作業

学校という組織は、
「学校以外の世界をほぼ知らない若者」が、
「学校以外の世界をほぼ知らない老人」に率いられ、
「学校以外の世界をほぼ知らない子供」に勉強を教える場所です。

つまり、世界が狭いのです。
教師は学校以外の世界でなにが起こっているのかをまったく知らなくても生きていける。

その教育は実体験に基づいていない。
祈りと知識によって支えられている象牙の塔です。
知識の墓場のようなところ。

そこで教えることができることは限られている。
社会に出るまでわからないこと、しかも生きていくために重要な情報が
教えられずに欠落している。


例えば、
・日本企業文化は異様に新卒重視な社会であり、中途の立場は非常に弱いものであること。
 転職するほど、年をとるほど不利になるということ。

・人間関係の構築方法
 人間関係が人生においてどのような役目を果たすのか
 どうやって人と知り合い、どうやって関係を作るべきか

・栄養の欠乏が人間にどういった影響を与えるのか
 冷凍食品、レトルト、コンビニ、ファミレス、ファーストフードの危険性

・生きていくことはすなわちサバイバルであり、
 人生のほとんどの局面において、政治、芸術、哲学は机上の空論でしかないこと。

・どの程度の収入をもって、どのような人生を設計するべきなのか
 将来子供を作るかどうかを大学入学前の段階で決める必要があること

・老人が社会にあるほとんどの金を持っていること

・景気が悪くなるときは何よりも先に若者の雇用が絞られること
 そして二度と新卒のようにどこにでも応募できるチャンスはこないということ

自分で学ぶべきだ、という人もいるかもしれないが、
教えることはできるのだから教えるべきだと思う。
無駄に不幸な人を増やすべきではない。

教育システム構築者の怠慢でしかないと考える。
今自分が教育システムを作り直してよいと言われたなら、
現在とはまったく異なる形になると思う。



象牙の塔の門番の言うことなど聞く必要はない。
むしろ、彼らが言っていたことはすべて間違いであるとして考えたほうがよい。
亡霊たちが亡霊であることを維持するために作られた理屈かもしれないのだから。
刷り込まれた概念が邪魔をするから、
まったく反対のことを考える程度でちょうどよい。

過去に学校で学んだことなど幻だ。
今自分が生きて見えているものこそが真実。