過保護をどう防ぐか

過保護についてのエントリが上がっているので少し考えたことがある。概要としては下記のような感じ。

親は子供を愛するあまりに過剰なケアをする。子供はケアされることが自らの使命となり、「成長してはいけない」を学習。人生を生きていくための障害を乗り越える力がなくなり、失敗を極度に恐れるようになる。

おいお前ら、絶対過保護過干渉で子育てするなよ:アルファルファモザイク おいお前ら、絶対過保護過干渉で子育てするなよ:アルファルファモザイク

核家族

もちろん戦後の核家族化が大きく影響している。大家族では育児のノウハウは必然的に洗練され、継承されると思われる。少人数の家族では育児のノウハウは個々の親自身が自分で開発しなければならない。特に長子が大きく影響を受ける。これは社会現象としての副次的問題であり、親という個人だけが責任を負うのは間違い。

親個人が責任を負うべきなのか?

元スレでは親個人の責任について論じられているが、いかにこのスレが盛り上がったところで最終的に過保護を防ぐことに繋がるのは、効果を最大に見積もっても1%とかそういうレベル。スレを見るまでもなく理知的な親は既にその可能性に気がついており、スレを見ても気がつかない親は永遠に気がつかない。もちろんスレを見ない人のほうが世界には圧倒的に多い。1%の改善ではこれが政策だったら失敗に数えられる。掛け声だけでなにかを改善することは難しい。親が過保護になりがちであることはずっと前から言われていることであるが、現在においても状況があまり改善されていない※。交通標語のようなもので、いくら標語があちこちにあっても飲酒運転は無くならない。社会の構成員のほとんどは理知的ではなく、理知的でないことを前提に対策を考えるべきだ。紙に書いた標語などは通用しない。多くの人々は教育のノウハウがないことについて意識的ではないし、育児を体系的に身につける一般的な方法も存在しない。社会全体が責任を負うべき問題であり、親個人の問題として論じている間は過保護の発生件数は減少しない。


※:改善されていないであろうことは失敗を恐れるタイプの人が社会の中に非常に多いという点がまずは挙げられる。環境的な要因もあろうが起業者数が少なく、自殺者数が多いということも根拠として挙げられるかもしれない。このスレが盛り上がるということがもう一つ。絶対的な判断基準はないが。

社会としての対策

育児について体系化し、資格化

 子供を作るためには資格を取得していることを推奨する。この資格を持って子供を育てる場合は支援金を受け取ることができるなど。資格化するに当たって、既存の育児についての知識をリファインする必要はある。

育児についての基本的知識を義務教育の中に組み込む

 現状では育児ということが若者の人生の設計の中に入っていない。まずは適齢期の人々について「育児の常識化」が必要と思われる。

育児支援者制度

 核家族だけで育児を行うことがそもそも難しい。都市部に多い共働きでは育児を行う時間がどうしても少なくなる。近隣に住む人々が協力して育児を行うことが望ましい。裁判員のように近隣の人々のうちの適切な人を数名育児支援者として任命する。 育児支援者は 立候補することもでき、経歴を含めた審査が行われる。逮捕歴や暴力的性向、ギャンブル癖がある場合などは支援者になることはできない。親が拒否することもできるが、少なくとも最低2名は支援者がいることが望ましい。孤立した核家族をより拡大した家族とさせるための措置。これは孤独な老人を社会にコミットさせるための措置でもある。