精神異常者を死刑にしたい人へ

「死刑で死ねる」 暴走車、次々に男女5人轢き殺傷→23歳男に無罪判決
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/929901.html

ここにコメントを書いている人たちの多くは、被告に向かって罪を償うことを要求している。ええと、確かにコメントを書く人の怒りそのものはわかるんですよ。道を歩いていて突然撥ねられたら困ります。それで家族や友人が死んでしまったならとても悲しいだろう。まあそこまではいいんです。でもさ、その怒りはどこにぶつけるのが正しいんだろう。正常な判断能力が失われている人に責任を取れって言うのが正しいのかな?
精神がマトモな普通の人は自分で自分の精神状態はある程度コントロールできる。だけど無罪判決が出るってことは「この人は自分の精神状況をコントロールできなくなってた」ってことだよ。「精神状態をコントロールできなかった」ってのが裁判の中で証明されたってことだ。(厳密に言うと証明しきれていない可能性もないではないけど、それを考え始めると裁判の不完全性の議論になってしまってこの先の議論に行けないので証明されたものとして話を進める)
これがもしも飲酒運転なら話は違う。その場合、運転している間は飲酒によって精神状態のコントロールができなくなるとしよう。それについては今回の判決と同様に罪に問われることはない。自分をコントロールできてないんだから。ただ飲酒の場合は、そもそも「車に乗る前に飲酒した」ということが問題になる。だから飲酒運転は「飲酒した」ことが問題なのであって、「飲酒して行った運転」が問題になることは基本的にないと思う。(そのおかげで飲酒についての刑が軽すぎる、という議論が出てきているわけですが)

そういうことを今回の事件の場合に当てはめて考えてみると、「精神がコントロール不能である」ことは問題じゃない。それは飲酒の場合と一緒なんだから。問題なのは「精神をコントロールできない状況に陥ることを防ぐことをできたのか」というところじゃないかな。ここが大きなポイントなんだと思うけど、精神病では状態が急激に変化することを防ぐことが難しい。そもそも「自分の状態が悪化するであろう」ということを予測するのが難しい。お酒みたいに一定の法則性を持った酔い方があればいいけれど、精神病というのはそんなに単純じゃない。ここは精神に関しては素人である本人では無理で、専門家じゃないと判断できないんじゃないかな。だからもしも罪を負わせることができるとすると、(通院していたとすれば)医者のほうになるんじゃないか。でも、医者だって万全じゃないし、すべての患者のすべての病状を完璧に把握できるわけじゃない。どうしたって病状の進行を把握しきれないケースが出てくる。そもそも病院に行っていないケースだって考えられる。自分で自分の精神がおかしくなっていることに気がつかなければ病院に行くはずがない。あるボーダーを超えてしまうと、自分の病状の進行はわからなくなるだろう。そういう場合にはもう誰にも救う手立てがない。まあ、家族や親しい人が気づいてあげればいいとは思うのだが、たまたま一人暮らしで親しい友人のいない環境であれば、誰も気がつく人がいないことも当然ありえる。つまり、条件が重なれば精神異常の人が殺人を犯すことは起こりえるんです。で、精神異常の犯罪の確率が低くても人間が多ければ発生件数は当然増える。

一人暮らしの人や他人と交流が少ないといった社会環境が増えても、発見が遅れる分だけ発生件数は増加する。戦後の核家族化のメカニズムを考えてみたり、結婚しないという選択をする人が増えているという話を考えてみると、どうも文明が進化していくにつれて人は孤独に生活するようになっていくんじゃないかという気がする。仮に「世界が便利になればなるほど人が孤独になる」とすると、こういう事件は今度増えるばかりなんです(もしかしたらあなたも将来は精神を病むことになるかもしれないということです)。社会的な環境変化が原因だとしたら「事件を起こした人を殺す」といった方法で問題が解決するはずがない。

精神異常になっている人が「殺されるから、損だからやめよう」なんて思うはずがないからです。無罪の人を殺そうって主張している人たちはぜんぜん解決になっていないことを主張しているんです。自らの感情を満足させるためだけにね。

なんて傲慢なんだろう。そんなにあなた方の感情は偉いんですか?発生するであろう問題を放置して、なによりも先に解決させなければならないほど感情のほうが重要なんですか?どこまで夢見がちで駄々っ子なんだ。精神異常の人と違ってあなた方は自分の感情をコントロールできるはずだ。それが求められているんです。試されているのは事件を起こした人じゃなくてあなたの自制心だ。

あなたがもしも精神異常の人を死刑にしてしまうのであれば、未来をドブに捨てているのと一緒です。まったく何の効果もないことをやって、しかもあなたは満足してしまうんだから。(満足してしまうところが特に致命的です。満足している人間はそれ以上なにもしなくなる)そうではなく、きちんと自制心を発揮して何が起こっているのかをつきとめ、社会的な方法などで解決することができたなら精神異常という事象そのものを少なくしてこのような悲しい事件を防ぐことができるかもしれない。

まさにそれが必要なんです。確かに起こってしまったことは悲しいし、遺族の人には気の毒だとは思う。でもさ、いくら恨んでも死んだ人は戻ってこない。罪をかぶせて誰かを殺してもなにも解決しないんです。苦しいけれども過去のこと惜しむのではなく、未来のことを考えましょう。それが生き残った者にできる精一杯の努力です。