守旧と退廃のお花茶屋

家の中に食べるものがなくなったので買い物に行かなくてはならない。
いつもいくスーパーはちょっと飽きてきた気分だったので、
いつもとは反対方向のあまり行ったことのない駅に行ってみる。

花茶屋という駅の近くに辿りついて、
茶店でランチをやっていたので入ってみた。

このランチは田舎のおばさんちで出てくるものみたいだ。

ねとねとしたポテトサラダに、ぬるくなったシチュー。
焦点の定まらないトマトスープに、保温しすぎのごはん。
しょうが焼きの味付けは標準的だが肉が薄く、
付け合せのキャベツはドレッシングをかけすぎだ。
そしてコーヒーは豆から挽いたものではなく、既製品で味が硬い。重油を飲んでいるみたいだ。(重油を飲んだことはないが)

そのとき客が僕一人しかいなくて、量を増やしてくれているような気はするんだけど、内容が適当すぎる。
サービスしてもらってるくせに悪口を言うようで心苦しいのだが、
僕が投げやりに作る料理のほうがまだマシだ。
少なくともコーヒーは豆から挽く。

この店はたぶん30年前から一切レシピが変わっていない。

一切「進歩しよう」という気持ちがない。
前向きに変化しようと思っていない。

これはいったいどういうことなのだろうか?

僕が料理の内容にこだわり過ぎ?このような小さな駅の喫茶店
食事の内容にこだわるのが間違いなのだろうか?
客層が30年前から一切変化しないのだろうか?
味は気にしない人ばかりなのか?
全員が亜鉛不足?
そんなはずはない。
若い人だって住んでいるはずだし、子供も結構みかけた。
新しいマンションも結構建っている。
需要がないはずはない。

電車に40分くらい乗って原宿あたりに行けば、この国でもっとも先端的でおしゃれな喫茶店に入ることができるというのに。
一回でもいけばわかる。いい喫茶店とはどういうものなのかがわかる。
もう見た瞬間に、空気でわかるのだ。
そこには気持ちのいい空間がある。
簡単に作れるわりには、ちょっとしたアイデアの満載されたシンプルで美しい料理が出てくる。
それを単にマネするだけでいい。
ぜんぜん届かなくともちょっとした努力で、今みたいなどん底レベルから這い上がることはものすごく簡単だ。
努力が報われないにはあまりにもレベルが低すぎる。
恐ろしいことになにをやってもレベルが向上してしまう。
簡単に少しでもいいところを取り入れることができるというのに、
なぜそれをしないのだろうか?

本屋にいってちょっと新しいレシピの本を買うだけでもいい。
本屋にはとてもおしゃれで簡単に作れるレシピの本がたくさん並んでいる。
しかもご親切なことにわざわざ「カフェ風」というタイトルのレシピ本が存在しているのだ。
この店から本屋まで5分とかからない。

なぜこんなにも変わらずにいられるのか。

昼時なのにも関わらず客が少ない。
僕が入る前は近所のおばさんが一人いて世話話をしていたが、
まもなく僕一人だけになってしまった。
(たぶんおばさんはごはんが食べたいのではなく世話話をしたいだけだろう。自分で作ったほうがマシなのだから)

そして駅にも近い。立地にはまったく文句はない。
若干狭いが、店も古いわけでもない。
つまりレシピさえよければいくらでも客が増える可能性がある。
レシピで努力をしない理由はない。
たいしたコストはかからないし、努力をしたらいくらでも報われる余地はあるはずだから。

すごくすごく気になる。
どう考えたっておかしいでしょう。

ふと、映画「宇宙戦争」に出てくるあの強烈な光線で店を薙ぎ倒してしまうという想像をする。
でも人が生きている限り、また同じ店を始めてしまうだろうか。
うーん、それではあの強烈な光線も意味がない。

スクラップ&スクラップ外山恒一さんは言うけれど、
システムを壊しても、前と同じ人間が生き残っている限りは同じことが起こってしまう。


意思を持って「進化しない」と決めているとしか思えない。
絶対になにがあってもこのレシピを守ると決めている。
世界が変わるためには人間が死ぬのが一番確実。
人が死ぬのは世界を更新するためだ。

だが、もしも人間を殺す方法以外でレシピを変えることができるとしたら。

現在喫茶店を経営している人間の行動形式を変えないといけない。
啓蒙が必要になる。
価値観の転換が。

それとも「不味いよ」って言うだけでいいかな。
自分の店が不味いってことに気がついていないのかもしれない。
入ってくる客が知り合いばかりだから、誰も本当のことを言ってくれないのかも。
あるいはすでに多くの客に「不味い」と言われたが、それでも変更する気がないのか。

自分は「おいしくないです」っていう言葉を言うことができない。
言うとしたら、
「個人的な恨みはまったくないし、感情的にならないでほしいのだが、おいしくないです」
あるいは
「もっとこうしたらおいしくなると思うけどどうでしょう」
とかかなあ。
どうもしっくりこない。
なんか嫌な空気が流れることを想像すると言いたくない。

人間に傷つく感情がなかったら事実だけを伝えれるんだけどなあ。
そうしたらみんなが幸福になれるのに。

ネガティブな評価を伝えることができない以上、
現象的には「二度と行かない」ということにしかならないわけだが、これでは永遠に気がつかないままだろう。
注文する前に「おいしかったらまた来ます」と宣言して食べるべきなのか?
うーん。
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