映画『エコール』→赤ちゃんポスト→裁判員制度→美しい国

「エコール」という映画があります。

これは孤児院について映画制作者が勝手に妄想した内容です。*1
普通は深い森と高い壁で区切られたりはしていないと思うし、外界との接触をこれほどまでに完璧に抑えることはできないだろう。
現実には新入生が棺桶に入ってきたりはしない。

でも、期せずして(?)真実を描写してしまっている部分もあると思う。
それは孤児というものが根本的に不幸であり、
子供が成育するために理想的な環境と言えるわけではないということ。

彼女たちの一部は施設から逃げ出そうとする。
そのために命を懸けることになる。
それでも施設から逃げ出したい。
そのくらい嫌な閉塞した場所なんです。

そこで行われているのは人間としての扱いではなく、
「きれいな人形」になるための訓練。
里子になるために、親になる人々に受け入れられやすい商品になることが死命なんです。
人権なんてものは存在しない。
それよりも生き残ることのほうが重要だから。

赤ちゃんポストに子供を捨てるってことは、たぶんそういう施設に子供を閉じ込めるってことです。
調べてみると、日本では「孤児院」ではなく「児童養護施設」という名称になっている。*2

これだけ報道が進んだ世の中でもなかなか施設の内容は世の中に知らされない。
それは視聴者のみなさんが知らされたくないからです。
社会の暗黒面を見たくないからですね。


Iridiumは多くの人々が持っているであろう「世界」というもののイメージに不満がある。
世界ってのは不整合で美しくない部分を持っているものなんです。
汚いものを隠してしまっても存在しないわけじゃない。
いかに「見まい」としても逃れられるわけじゃないんですよ。

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裁判員をやりたくないという人がいます。
裁判員制度についてのアンケート(pdf)を見ると61%の人が「参加したくない」という傾向にあります。
確かに日常生活の中に新しい余分な仕事が入り込むのは、わずらわしいでしょう。
仕事人としてはその感覚は当然だと思います。
会ったこともない犯罪者を裁かないといけないのは心理的にも負担でしょう。

でもですね、裁判というのは誰かがやらないといけない汚れ仕事です。
普段はその汚い仕事を誰かに押し付けているんですよ?
その仕事をやっていない今の状態のほうが変なのでは?

というか、Iridium的には参加して当然だと思います。
誰だって裁判からまったく無関係のまま生きていける保証があるわけじゃない。
勤めている会社が裁判に関係するかもしれないし、家族や知人の人間関係のもつれからいつ民事裁判に巻き込まれるかわからないんですから。
交通事故で裁判になることだってありますし、まったく心当たりがなくとも痴漢などの冤罪で捕まることもある。

裁判機構は社会を成立させている重要な部品なのです。
そういう意味で裁判機構に関わることは社会の成員にとってごく自然なことです。
むしろ、裁判を知らないで人生を終えてしまえるほうが不自然です。

Iridium個人的には、みんなにもっと社会の暗部を知ることを義務付けたいくらいです。
豚や牛が殺されていく屠殺場なんかもちゃんと全員が見にいったほうがいいんじゃないか。
毎日自分が食べているものがどういう過程で製造されているかを身をもって知ったほうがいい。
し尿処理場やゴミ処理場なんかも全員がきちっと見学するなり勉強するなりしたほうがいい。

美しいものだけで社会が成り立っているわけではない。
必ずダーティな部分は存在する。
汚いものに蓋をしようとすると逆に復讐されることになる。

例えば、美しさに気をとられることが醜いものや現実的な問題から目を背けることに繋がってしまうんです。
そういう意味で「美しい国」を唱える内閣が汚職問題によって崩壊しようとしているのは興味深いと思うんだけどね。

エコール [DVD]

エコール [DVD]

*1:たぶん、ロリ趣味のみなさんを想定して作られているんだけど、自分はそっち方面の趣味がまったくないので、(毎回DVDを借りてから自分の趣味に気がつくわけですが)「趣味じゃないなあ」と思いながら映画を見ている。

*2:Wikipedia 児童養護施設によると、2003年時点で入所理由に占める割合は「虐待」が6割。2004年10月時点で全国に556施設の施設があり、入所者は30,597人