世界は不完全、不完全、不完全なんだ


僕たちは現実主義者
そして正直で、堅実だ
いい加減なことはしない


だから

その結果として

今あるものがすべてだとすぐに思ってしまう。
世界は固形物だと思ってしまう。
揺るぎない何かだと思ってしまう。

違うんだ

それは違う

今見えているこのやり方、このプラットフォームは一時的なものに過ぎないんだ。
時間が経てば更新されてしまう一つの歴史に過ぎないんだよ。

そして、なぜ更新されるかというとそれは不完全だからなんだよ。
未来にはより完全に近い形が見えるから更新される。

そして

もう見えているんだ。
現実のどこが不完全で
何をどうしたらもっと完全に近づくかなんて。

それを形にするんだ

前に進ませてくれ

もう見えている



たとえば----------



心理的な問題をもっと徹底的、包括的に研究すること。
現在すでに存在する成果を普通の人が実行可能な実践的なメソッドに落とし込む。
心理学を義務教育に組み込む。
自分や他人の心理のメカニズムについての意識を徹底的に高めること。

これを行うだけで世の中の多くの問題は半分くらいに減らせる。

暴力犯罪やDV、自己破産、教育問題、自殺、性犯罪、汚職、宗教問題、戦争(とくに民族間の戦争)
こういったことのほとんどは心理的な要因が非常に大きい。
心理的なメカニズムを理解することで、問題を予期したり、予防したりすることができるし、
解決への糸口を探ることもできる。

自分が何に動かされているのかを知ることができる。
ほとんど盲目のままに犯罪を犯す多くの人々を救うことができる。

そして、
犯罪を犯す人だけではない。
世の中の多くの人の精神は健康ではないのだ。

はっきり言っておこう。

Iridiumが生きてきた日常世界での多くの人々は何らかの形で精神を病んでいる。

あたりまえ?
そう、あたりまえなんだ。

それがおかしいんだ。
おかしいよね?

器質的な要因なしに精神を病んでいる、なんて。
この21世紀にもなってね。
何らかの偏見や呪いに取り付かれていない人はほとんどいない。

なんとか生活できているのは
「幸運にもたまたまそれが致命的な方向に発揮されていない」というだけに過ぎない。(過去に安全を保証してきたであろう)慣習に従っているということ。

慣習に批判が加えられることはほとんどない。
慣習という文脈の中では論理的根拠なんかどうでもいい。
だから慣習に従っている限りは無限に無自覚になれる。
無自覚なら呪いから逃れる術はない。現状の僕たちの姿を絵にすると疫病の展覧会みたいなもの。

どのような呪いに取り付かれているかということに、もっと自覚的になるべきだ。
精神のあり方としてより強靭になるということ。

自分の精神をモニタリングし、類型化を行うこと。その思念がどこから来たのか源を探れ

論理的に、論理的に、論理的にならないと駄目だ。

流れ行く砂ではない、と思いたい。
自己の定義を「ただ過ぎ去るだけの者ではない」とするならば、
より自覚的でなくてはならない。
少なくとも今よりはもっと。