美術館は過去の作品を展示するべきではない

過去の作品など見たくはない。
我々は未来へ向かって生きるべきであり、過去の作品について云々する暇などはないはずだ。

というか自分がみたくない。

僕が美術館に対して求めているのは
日常に対する攻撃だ。

この長く続くルーティンを破壊したい。

なにか新鮮なものがほしくて仕方がないのだ。
この世界は息が詰まる。
同じようなものしかない。
一定の法則で説明できてしまう。

世の中のほとんどの出来事に馴染みがあるということ。

どんなニュースも新鮮さがない。
それらのニュースが伝える内容などはすでに知っているものばかりだから。

それなのにほとんどの美術館では、過去の作品しか展示していない。
そんなのは老人たちの墓場みたいなものです。

ルーティンワークから逃れたい。
そして
芸術から新しい何かアイデアを掴みたい。
そういう欲求の受け皿になってほしいのです。

なにか新しい感覚に接したいのだ。
すでに自分が知っていることなどうんざりなのです。

知らないことを教えてほしい。
この日常を破壊するようななにかを。
新しい風であってほしい。
見たこともないなにかであってほしい。

古い絵画などは死体も同然だ。
時間を切り崩して生きている我々の力になるはずがない。
我々は常に死によって肉体を削り取られている。

力を与えてくれ。
現状から抜け出すための糸口がほしい。
出口を示してくれ。

新しい問題、新しい社会、新しい世界に切り込む芸術がほしい。
「過去の世界」のための芸術ではなく、「この世界」のための芸術が必要なのです。

今この世界の問題を表現してほしい。
派遣問題や少子化問題サブプライム問題、
秋葉原勢力の隆盛、ニコニコ動画、黒人大統領、テレビや新聞の衰退、
ユニクロ、携帯、nintendo DSiPhoneエコロジー
海賊、デノミネーション、中国の台頭、毒餃子
コンビニエンスストアAmazon

テーマなんていくらでもある。
そんなすべてを芸術として表現してほしい。
今、この瞬間、この時代という抽象的な概念を具現化してほしい。
アイコンが必要なんだ。
ビジョンが必要なんだ。
映像でお願いします。
形にしてくれ。

それだけでいい。
抽象的な概念を具体的な形にすることで、物質的に扱えるようになる。
トグルをつけることができる。
誰でも抽象概念を取り扱えるようになる。

芸術の社会的役割を満たすことができる。
誰かがやらないといけないのに、確信を持って大規模にやっている人間がいない。
うまくやると本当に社会にインパクトを与えることができる。

そんなに難しいことじゃない。
芸術家なら誰にでもできるようなこと。
若い芸術家にはオススメです。