高齢者は金を社会に返してほしい

高齢者が非常にたくさんの金を持っている。
もちろん、50代や60代がそれ以降の生活のために貯金をするのは妥当だ。
働けないのであればそれを補うための貯蓄は必要。

しかし、実際のところ70代や80代がもっとも貯蓄しているというのはいったいどういうことだろう。
彼らにはもう金なんて必要じゃない。
これらの貯蓄は彼らが死ぬと同時に血縁者に渡るだけだ。

実際に多くの資産が血縁者という名の遺伝子が近いというだけの存在に渡されていくのだろう。

もちろん遺伝子の戦略としてはいいだろう。

だが我々は遺伝子のために生きているのか?
ちょっとでも自分に似た人間を世界に増やしたい?
違うだろう。
遺伝子なんかくそくらえ、と言いたい。
断固として遺伝子などにコントロールされることは拒否するべきだと思う。

経済的にはほぼ無意味だ。

誰が金を持つべきなのか?
もちろんそれは「もっとも有効に金を使うことができる人間」だ。
社会をよりよくする方向に金を使える。
再生産する方向に、より社会の危険度を下げる方向に金を使える。

社会をより再生産可能な方向に持っていける人間が金を掴むべきだ。
条件を備えているなら、誰が金を持っていてもかまわない。

金を持つべきでない人間に金を渡している。
「過去に金を儲けていた人間に近い遺伝子を持っている」という理由で金を与えている。

なんという無駄。
若者には「冒険するな、怠惰に待て」というメッセージを送っているようなものだ。
膨大な金はそれを受け取る人間をスポイルするだろう。
働く必要のない人間は才能を発揮する理由がない。
そして他の若者の生活は貧しいままだ。

理想を言えば、老人は死ぬ前に投資すべきだ。
もっとも社会を正しい方向に導くと思われることに金を使ったほうがいい。

安定的な社会を子供たちに与えられるなら、
それが最大の遺産だ。

金持ちでなくとも、みんながそこそこ幸福に生活していける社会を遺せるならそれに越したことはない。
どんなに金があろうと、社会が不安定なら幸福ではいられない。
まずいケースだとジンバブエみたいに信用不安が起きて、貨幣の価値が暴落することだって十分に起こりえる。
不安定な社会では犯罪に巻き込まれる危険性も高まる。

社会を安定化することは多くの人にとって非常に有意だ。
再生産することのできるものに金を使ってくれ。

できるだけ長い間資産として価値があるようなもの。
さらに資産が累積的に価値を高めることができるようなもの。
多くの人々の生活に貢献するような基礎研究でもいいし、
今まで誰も気がつかなかったようなニッチな分野の製品を生み出す企業でもいい。

重要なのは資産を死蔵しないことだ。
次にそれを受取る遺伝子的に繋がりのある人間が有用な用途を見つけられるとは限らない。

ヘタをすると何十年とか眠ったままになる可能性がある。
それは経済全体にとって損失。
回るべき金が回っていかないのだから。

損をしてもいい。
多くのトライは失敗する運命にある。
基礎研究のほとんどは実を結ばない。

多くの人がトライすることが重要で、その中の1プロジェクトでも成功すれば
(歴史を見る限りでは)社会全体としては失敗を十分に補填できる。

失敗を恐れないでほしい。

社会全体としての視座を持ってほしい。
死ぬ時は個人としての価値観を捨ててほしい。
社会からもらった金は社会に返してくれ。