子供に楽観的なフィクションを信じさせることについて

はてなアノニマスダイアリー、通称「増田」 http://anond.hatelabo.jp/ という匿名掲示板がある。

そこで「学歴君」とみんなに呼ばれている人がいる。もちろん匿名掲示板なので絶対に同じ人なのかはわからないはずなのだが、彼の場合は書き込み内容が非常に特徴的なので見分けることができる。彼はいつも「学歴がなければ人生は終わりだ」とか「学歴がないヤツは死ね」みたいなことを書いている。見る人を不快にさせる書き込みだ。時々彼にレスをつける人がいたんだけど、ナシのつぶてであまり反応がない。彼の心に訴えることに増田のみんなはずいぶん長い間失敗していた。*1でも、先日ある書き込みから彼の行動が少し変わったようだ。

「騙された低学歴」
多様な人生があると思っていたら現実は一様でした。最悪な国でした。残念でした。
http://anond.hatelabo.jp/20100130191836

いつものネガティブな書き込みだ。これに対しての返答は

君は正しい。確かに子供には「君には未来がある」と教える。なぜならば、「未来がない」という教育は正しくないからだ。現実世界の様々な問題を詳細に教えることもできるが、未熟な若者はその深刻さと複雑さに押しつぶされてしまうだろう。そうであるならば、次善の策としてあたかも未来がバラ色であるかのような幻想を与えておいたほうがよい。騙されていたことに気がついたなら大人になるんだな。

この後で学歴君の書き込みはちょっといつもとトーンが変わっている。いつもの後ろ向きな内容とは違って非常に力強い内容になっている。内容としてはあまり変わってないのもあるのだが、いつもと違って力に満ちている。

・みんな!オラに学歴をわけてくれ!!
・人生とは学歴であり、その招待は二度と繰り返されることはない。
・意味を求めたってはじまらないよ。人生は学歴だ。意味などどうでもいい。


もちろん匿名掲示板なので、これが学歴君であるとはいい切れないんだけど、重要だと思う書き込みは下記。論理のぶっ飛び具合がよく似ているのでここでは仮に彼だと考える。

「日本って何でこんなにすごいの」
人生23年、現実だと思っていたものが妄想だった。先生も友達も街も大学も幻だった。もうすごすぎて何がなんだか分からない。
http://anond.hatelabo.jp/20100201185917

認識の変化

ここで彼の認識は大きく変わったと思う。以前は「自分は努力してきたのに報われなかった。おかしい。自分が不幸なのは学歴社会のせいだ」という社会に対する恨みに取り憑かれていて、世界の全部を不幸にしてやろうという気持ちが満々だった。多くの人が書き込む場所に不快な書き込みを連投するという精神的メカニズムは秋葉原で多くの人を殺した加藤くんとすごく似ている。彼は社会に対して復讐しようとしていた。もちろん誰にも相手にされない、といった寂しさもあっただろう。増田に書けば誰かが反応してくれるかもしれないから。ところがある時点で「自分が騙されていた。努力すれば必ず報われるといった楽観的な価値観には根拠がない。世界は元々そういうものであり自らの手によって不幸を跳ね返していくしかない」という認識に変わっている。

将来性について

非常に大きな一歩だと思う。運がよければこれを機に彼の人生は前向きなものになっていくだろう。もともと能力のない人ではない。論理的な思考は苦手だが、努力することに関してはかなりの耐性がある。そうでなけば東大を目指そうなどとは思わない。(彼はたぶん東大を目指そうとして失敗した)実社会では論理的な思考力よりも努力することのほうが重要である場面というのはたくさんある。(特に日本社会では)彼みたいな努力家は生き残りやすいだろう。

教育の危険性

子供のときに楽観的なイデオロギーを教え込むことには危険性がある。それが通用しない場面でも、同じイデオロギーを適用しようとしてしまう。もちろん、現実世界のすべてを教えてしまうことは子供にとっては良くないとは思うが、あまりにも楽観的なフィクションを信じさせるのは問題だ。子供に対して行ったイデオロギー的な教育については、早い段階でそれが誤りである可能性について示唆することが必要だろう。子供の頃に教わったイデオロギーというのはあまりにも本人につってプリミティブであるために、疑いの対象となりにくい。ある種の人たちはそういったイデオロギーを「絶対に正しいこと」として疑わなくなってしまう傾向にある。(実は非常に多くの人が呪いにかかっているが、死ぬまでそのことを認識することはない)幼少時に教えられたことを否定することは非常に難しい。時間が経過すると、イデオロギーがその人の一部分となってしまっているからだ。完全に一体となってしまったイデオロギーを自身から引き剥がすのは相当大変だ。自分自身を否定することに非常に近いから。

「希望という名の呪い」への対処

「あまりにも希望に溢れている状態はおかしい」というチェックが必要ではないか。困ったことに教育現場にいる人達は、実社会のことを知らないことが多い。彼らは人生の多くを学校社会で過ごしているために、企業社会などがどのように機能しているかを知らない。彼らは良かれと思って、子供に希望的観測を信じさせているが、結果として一部の人の人生を決定的に損なってしまっている。この問題にシステム的に対処するためには、学校の先生の採用基準を20年程度以上の一定の社会経験を持つことを条件にする、といった方法が考えられる。現実世界を知っていれば無闇に楽観的なイデオロギーを流布することには抵抗があるだろうからだ。また、教育委員会など上部組織は学校が楽観的すぎる教育を行っていないかをチェック項目に加えるべき。システムが誠実に対処すれば学歴君のようなルサンチマンを抱く人をもっと少なくすることができる。テーマとして「夢」「無限」「未来」「はばたく」などの言葉を頻繁に使っている学校は特に気をつけてください。恐ろしいルサンチマンを醸成する準備をしているのかもしれない。

*1:実際のところは僕一人だけが学歴君の書き込みにマトモに反応していたと思う。増田にいる人達はあまり学歴君みたいな人を救おうとは思っていないようだ。増田はルサンチマンを抱いた人が少ないのかもしれない