学校でいじめにあったときにどうやって生き残るか

前にもどこかで書いたが何度も書く価値があると思うので何度も書く。

まず、「学校は学ぶところ」とか「楽しいところ」とか「誰かが助けてくれる」といった考えは捨てること。いじめにあっているということは既にそれが期待できない状況に陥っていることを示している。自分を救うために自分の全力を振り絞る覚悟を決める。逆に言うと学校で全力を出している人間など一人もいない。もしも全力を出す覚悟を決めることができれば、いじめから脱出できる可能性はとても大きくなる。

かといってどんなに覚悟を決めようとも足が早くなったりはしないし、頭がよくなったりしない。もちろん外見がカッコ良くなったりもしない。能力を向上させることでいじめから抜け出すことができる人もいるが多くの場合はそういう方法は使えない。そもそも能力があるならいじめられていない。

いじめというのは動物的な論理に基づく行為だ。「自らの楽しみのために、集団の中でより劣位にある者を攻撃する」これは低劣な発想であり、文明的な心理から発生するわけではない。決して頭のよい行為ではない。もちろん低劣であるからといっても、いじめはなくならない。子供がそんなに完成した存在であるはずがないのだ。

つまり学校は常にそうしたいじめやリンチを発生する土壌だ。これは多くの大人は認めたがらないが、事実だ。

だが、そんな環境にいる子供はたまらない。建前がどうであろうと自分が向かい合っている現実は変わらない。

学校は無法地帯なのだから、生き残るためにはどんなことでもしなくてはならない。運が悪ければ集団リンチに近い恐ろしい事態も起こりうる。集団リンチに遭おうとも生き残らなくてはならない。学校という見た目に騙されてはいけない。ルールなき戦場と考えておいたほうがよい。始めから戦場と分かっていれば対処はある。戦場でむざむざ死を待つ兵士などはいない。そこには戦うために行くべき。

向こうが拳で語ることを要求するのだから、こちらも拳で語らねばならない。

もしできるなら可能な範囲で体を鍛えておくべきだ。もちろんちょっと体を鍛えたぐらいではいじめから抜け出すことはできないが、暴力に対処するための役には立つ。ところで、いじめを行う彼らは非常に原始的なので、体が強く大きいものを攻撃することはない。彼らの原始性はこの問題を考えるときに大きなポイントとなる。いじめを行う者が原始的でないことはまず有り得ない。

ただし、体を鍛えることは絶対ではない。小学生程度では多少体を鍛えていようがいまいがそれほど大きな違いはない。むしろ「絶対に生き延びる」という心の持ちようのほうが重要。

まず基本的な戦略として、多対一の状況では逃げ、一対一のときに全力で潰すべき。戦場では当たり前だ。多数を相手に戦って勝てるはずがない。多対一の状況に陥らないためには授業中に逃げ出してもよい。逃げることはまったく不名誉ではない。不利な戦いを続けることはない。このために走力はあったほうがよい。腕力よりも脚力を鍛えておくべきかもしれない。毎日30分でも走っていれば周りのほとんどの人間よりも早く長く走れるようになる。

相手は訓練された兵士ではなく、知能が低い。肉体的な痛みには弱いし、一対一ではたいした脅威ではない。どんなに相手がデカく、自分と体格差があろうとノーダメージで自分を倒せない。一発でいい、印象的な痛みを与えることが非常に重要だ。肉体的な痛みを与えることが重要。相手は動物に近い存在なのだから。痛みを学習させろ。痛みを学べば攻撃してこなくなる。とても単純だ。

放課後や休憩時間に相手が一人でいるときを狙え。そのときに一対一での戦いを行うべきだ。これはいじめから抜け出すために必要なことだ。イヤだろうが苦しかろうが絶対に行う。勝つ必要はない。痛みを印象づけることが目的なのだから。クラス全員に対してやるまでもなく、いじめの主要なメンバーとなっている数人に対して一対一の戦いを仕掛けるだけでいい。

ただし、しばらくすると効果が薄れることもあるので、そのときには臆せずにまた戦いを行うべきだ。前にいじめを行っていたメンバーと同じクラスにいる間は油断せず、常に脅威があると考えておいたほうがよい。

また時間が経過すると忘れられてしまうので、一人から単独で攻撃された場合にはその場で必ず反撃を行っておく。この反撃によっても痛みを印象付けることができる。

まとめると以下のようになる。

1、少しでも殴られたら必ず同じ強さでその場で反撃する
2、集団に囲まれそうになった場合は授業中であろうとも逃げる
3、一対一の戦いでいじめを行っているメンバーを切り崩す

絶対に自分がいじめられている状況を放置すべきではない。その放置は将来に渡って心を傷つけることになる。自分自身を自らが救うんだ。